文芸美術国民健康保険組合とは
当組合は国民健康保険法に基づき、厚生省(現 厚生労働省)の認可を経て設立し、国の事業を代行する公法人です。
文芸美術国民健康保険組合について
名称 | 文芸美術国民健康保険組合 |
---|---|
所在地 |
〒101-0048 東京都千代田区神田司町2-7-2 ミレーネ神田PREX4階 |
電話番号 | 03-6811-7293(代表) |
FAX番号 | 03-6811-7294 |
組織 | 公法人 |
設立年月日 | 昭和28(1953)年4月1日 |
理事長 | 福王寺 一彦 |
業務内容 |
保険給付/国民健康保険法に基づく法定給付と、組合が任意に行う出産・死亡等に対する給付 保健事業/組合員や家族の健康の保持・疾病予防等 |
加盟団体 | 69団体 |
業務時間と休業日
- 業務時間
- 午前9時15分~午後5時15分
- 休憩時間
- 正午~午後1時
- 休業日
- 土曜・日曜・祝日
アクセスマップ
設立の経緯
日本文芸家協会で、会員の相互扶助委員会が設置されたのは1951(昭和26)年4月の総会であった。
その主旨は、同じ会員でも稼ぎ高の多寡による生活の問題や、病気や死亡についても、著明や無名による格差、といっても無名な会員には見舞金すら出す方途のない現状を見兼ねての発想であり、しかも当時の社会情勢は、勤人ではない自由職業の作家(通称一人親方)などは、社会保障でもある医療保険制度というものの埒外に放り出されたままの状態であった。
会員全員にゆきわたる共通な扶助…これを考えられたのは、当時日本文芸家協会の理事であった丹羽文雄氏であった。
日本文芸家協会の相互扶助委員会は、度々会合を開き、都及び厚生省の関係者にも出席を願い指導を戴いたのであるが、残念ながら、日本文芸家協会単独では特別国民健康保険組合設立の許可を得るための基準人数に達しなかった。相互扶助委員会は同じ自由業でもある芸術家仲間の日本美術家連盟、日本著作家組合、全日本工芸美術家協会、出版美術家連盟の4団体に呼びかけ賛同を得た結果、1952(昭和27)年に初めて合同の打ち合わせを開催する運びとなった。
1953(昭和28)年、厚生大臣山県勝見氏より設立発起人代表丹羽文雄氏宛に設立の許可と、同年度収支予算の許可を得、文芸美術国民健康保険組合の誕生となった。
4月1日発足を期し、初代理事は母体5団体より1名づつ次の諸氏が選任された(敬称略)
丹羽文雄(理事長)、伊原宇三郎(常務理事)、鴨下晁湖、中島健蔵、山崎覚太郎
かくして1953(昭和28)年4月1日より文芸美術国民健康保険組合は業務開始と相成るわけであるが、当時の発起人の一人広津和郎氏は、保険などというものには無関心の文士などが、せいぜい3年も持てば…の発言を思い浮かべれば、うたた感無量である。
(元常務理事 今井潤 組合報 第90号 1982(昭和57)年より抜粋)
事業内容
当組合の事業内容は、次をご覧ください。
規約規程集
当組合の規約規程集は、次をご覧ください。
健康保険制度について
日本の健康保険制度については、次をご覧ください。